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怠惰な男の多忙な日常
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 私も含めて、みんなが日常生活を送るなかで、「普通」とか「一般的」とか「平均的」といった感覚って、結構多いと思う。

 この普通とか一般的という言葉は、しばしば「みんな」という捉え違いを引き起こすことがある。

 うちの子はみんなが定時制高校に通学中で、定時制は基本4年制。うちの子が通う高校は3年で卒業できる仕組みもあって、その気になればうちの子も3年で卒業できたのだが、本人の希望で今年も通っている。

 「『普通なら』高校を卒業し、就職なり進学なり浪人なりの生活に入っている」と書けば、それはそれこそ「普通に」受け止められるだろう。

 だが、この文章の裏には、うちの子が「普通でない」とも表している。この場合は、普通というのは「標準」とほぼ同義だろうな。



 この「普通」って言葉、私は気をつけて使うようにしている。なぜなら、多くの人にとって「普通=平均的」だったり「普通=圧倒的多数」であったり、「=標準」であったりするからだ。

 うちの子は、親の私が言うのもなんだが、とても良い子だ。だが「普通」の枠からは多分はみ出している。この場合は、「普通よりも劣っている」とされることが多いし、うちの子もそう思われている。



 しかし、その「普通」枠、普通でもなければまともでもない。うちの子が高校に通うようになって痛感したことである。

 そのことが分かったとたん、私も子も解放された。


 考えてみてほしい。自分の中の「普通」枠を。この世の中、いろんなハンデを背負って生まれる人もいるし、事故などでハンデを背負ってしまう人も大勢いる。発達障害を抱えていたり、学習障害を抱えて育つ子も大勢いる。

 そんな人たちがいることもまた「普通」の状況であり、かれらを「普通じゃない」という理由で疎外(こういう場合は、ほとんどの人が自覚していない)することが間違っている。



 いろんな人がいていいじゃないの。それが当たり前でしょ?そんな人たちを受け入れない社会の方が絶対に普通じゃない。そう思わない?


 ツイッタ―って手段もあるけど、なんだか窮屈で。こっちに書いてみた。
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と言っても「暴露」するほどすごいことでもないが。
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