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怠惰な男の多忙な日常
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 ブロニカS2の故障と急用によって中止となってしまったお散歩撮影の貴重な時間。あまりにくやしかったので、RICOH CX4ですきまスナップをしたのだが、気楽に撮れるのもいいもんだ。たまにはね。
 コンデジって、一台あるととても便利だとは思う。とくに私の場合、高倍率ズーム(28mm-300mm)のフルオートだからなおさらだ。
 仕事で記者もどきのことをやるのにも使うことがある。ただし、人が被写体の場合、AFの遅さとレリーズラグがストレスになることもあるのだが。
 それはともかく、私という人間は面倒くさがりのくせに、なんでこうも便利なものに食指が動かないのか。新しいデジカメがポンポンリリースされ、ついこの間買ったばかりのつもりでいると、あっという間に生産終了の旧製品になってしまう。あまりに入れ替わりが激しすぎる。そして、撮影した結果(画像)が、一体何が決め手でこうなったのかがよく分からない。レンズの性能?受光素子?画像処理エンジン?それらの複合的要因?どうなのよ?と思うのだ。
 フィルムカメラはその点で分かりやすい。デジタルカメラは仕事でよく使う。仕事ゆえに好きだの嫌いだのは言ってられない。それになんといっても撮影した後が圧倒的に便利なのはよおく分かる。フィルムではどうしても勝てない。ただし、それでよしと思うのは「報道関係において」という条件をつけておきたい。
 デジタルの画面を見ていると、ついウソ臭さを感じてしまうことがある。テレビを見ていてもそうだ。一瞬、「あ、きれいだな」とは思うのだが、どうも「リアルだ」とは思えないことが多いのだ。
 私の気のせいと言えばそれまでかな。
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 久しぶりに撮影の時間がつくれそうだったので、S2をとり出した。フィルムバックとゼンザノン150mmF3.5も仕入れたことだし、カラーネガフィルムとモノクロフィルムの両方で楽しもう。ひっひっひ...。などと浮かれながら、空シャッターを切ろうと、フィルムバックを取り外してクランクを巻いてシャッターをチャージしようとしてびっくり。
 シャッター幕がよれって、クランクを無理に巻こうとするとシャッター幕自体がいかれそうな感じ。これはヤバい!
 S2は故障が確定。こりゃどうにも素人には手が出ない。イストテクニカル行きが決定だな。
 にしても、いざS2が使えないとわかると残念でならない。やむを得ず、NIKON F2 フォトミックを準備、撮影に出かけようとしたら、急用がやってきて結局撮影にきちんと出られなくなってしまった。

 くやしいのでRICOH CX4で、ほんのちょっとだけ。



 朝、携帯電話に見知らぬ番号から電話。なんだろうと思って出てみれば、仕事でお世話になっている人だった。「新しいカメラ買ったから」それまで使っていたカメラをくれるというお話だった。ボディだけと言われたが、くれるというならいただきましょう。すると、「ろくなカメラ使ってないから」といわれたときにはカチンときたが、ぐっとこらえていただく段取りを打ち合わせた。
 職場に持ってきてもらったそのカメラは、Nikon D90。同僚によると、「彼はそこそこ金持ちでさあ、ワープロなんかも使いこなすでもなく、新しい機種がでるとすぐに買い替えてたなあ。オレも昔、パソコンを貰ったことがあったよ」とのこと。うらやましい話とも言える。
 さて、私の所有しているCPUレンズはTAMRON 28-200mmの高倍率ズームだけ。他はMFレンズで、装着こそできるものの、内蔵露出計は連動しない。これじゃNikomatほども使えない。まして24mmはAiですらないため、D90には装着もかなわない。
 D90をいろいろと弄ってみる。そのうち、自分のこともいろいろ分かってきた気がする。
 デジタルの利便性は、パソコンと一緒に使うことで初めて有意義なものになるわけで、フィルムのそれと比較すると、やはり用途は限定されるのではないだろうか。
 写真とは別の次元の話だが、「のれる道具」として、デジタルカメラは私にとってあまりあてはまらないということ。便利だから仕事やブログの写真用には積極的に使うけれど、趣味でスナップに出かけるのに使うならやっぱりF2やBRONICAだったりの方が楽しい。
 コンデジは操作が比較的容易なのだが、一眼レフとなると、「自動化」と言っても、ボタン類がやたらと多く、何か一つの設定のためにボタンを押しながらダイヤルを回すといった、面倒な手間がかかる。
 せっかくいただいたカメラだし、性能が悪いわけではないのであまり文句を言うもんじゃないか。
 早くも仕事用、時々スナップ用としての位置が確定しつつあるD90である。
 群馬県にある「なんもく」村。長野県のそう遠くないところにも「南牧村」はあるが、読み方が違うので注意が必要だ。群馬県にある南牧村は、日本一のものがある。住民の高齢化率である。
 村の地図を見ると、見事なまでに沢沿いにだけ集落が形成されている。「大自然」と呼ぶには少々スケールの小さい感が強い。が、美しく澄んだ沢の水や大きな岩や木々によってなる渓流は気持ち良く、眼前に迫るようにそびえる低い山々の緑は目も心も癒される。
 仕事のために、ここへ通うことがあって、「いつかちゃんとカメラを持って」と思っているのだが、そのチャンスは少ない。今日は調整時間ができたので「すきまスナップ」を楽しむことにした。と言っても、フィルムカメラはあいにく家だ。RICOH CX4を携えてのぶらり歩きとなる。
 ふと、そんな時間を楽しむのが久しぶりだということに気がつく。今年も大仕事の山をいくつか越えて、今はちょっと余裕があるはずなのに、フィルムカメラを持って撮影にでかけていない。まあ、そんなときは、大抵別の何かに凝っていることが多いのだが、撮影を忘れている訳でもないので、また近いうちに撮影に出かけるとしよう。
 紅葉のころ、南牧村に改めて行くのも悪くないな...そんなことを思いながら、しばしスナップ撮影を楽しんだ昼のひとときである。
 仕事で仙台に行き、帰りに「津波の被害があった沿岸部へ」と案内されるまま車で向かった。
 着いたのは海水浴場。もちろん、今季は閉鎖である。海岸では重機が動いていた。
 たどり着くまでにも、広がる草むらに、こんもりとしたがれきの山が方々に点在していた。大破した車や家屋の残骸。ダンプが行き交い砂塵を上げる。海岸に着くまでに息をのむ光景が目の前に広がる。
 写真でいろいろ見て、それなりに「大変なことだ」とは認識していたつもりだが、いざ目の当たりにすると、その衝撃ははかり知れず、言葉を失った。
 海岸に着いて車を降りると、基礎だけを残してあらかた流されてしまった住宅街の跡だった。テレビや写真で見た被災地は空襲の焼け野原を連想させたが、ここはもっときれい。つまり、すべて流されてうしなわれたり、瓦礫があらかた撤去されたあとのようで、砂と雑草が住宅街だった土地にはびこっていた。
 夢中で写真を撮った。撮りながら涙が出てきた。こんなものがあった、こんな風になっていたということを「誰かに伝えなきゃ」と思いながら写真を撮った。
 帰って、しばらくして頭が冷えてきたころにフィルムを現像した。スキャンしてアップしようとして、ふと考えた。
 惨状はこれまでもいろんなメディアが伝えてきているし、受けたインパクトの大小はともかく、多くの人も見てきたはず。あの地震から5カ月が過ぎた今も、現場を見て受ける衝撃は大きいが、本当にこれをアップするだけでいいのか。この写真でいいのか。立ち直ろうとする、そんな希望の持てるような写真を撮ること、そんな表現をすることも大切なんじゃないだろうか...。そんな風に考えてしまったのだった。
 裏を返せば、そんなことを考える余裕もないほどの状態だったともいえるのだが。
 東日本大震災で被害に遭われたすべての方に、改めてお見舞い申し上げます。
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と言っても「暴露」するほどすごいことでもないが。
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